木下晴稀の躍進。日本から世界へ。
FREEFALL編集長 高須基一朗
2016年6月、世界中から強豪トップライダーが揃いに揃った大会で、数年ぶりに日本人として世界の頂点へ上り詰めたのが、若干16歳、高校二年生の木下晴稀(以下、HARUKI)だ。
過去に、大杉徹がアメリカで開催されたKing of Slackline 2010(動画コンペ) 、そしてSlackline World Cup 2013 at Spokane WA で世界の頂点に輝いているが、このころのスラックラインの環境と今の環境ではトップライダーの技術面でのレベルは、天と地ほどの差がある。
この世界レベルの水準が急速に高まっている中で、世界の頂点へ日本人が上り詰めたということになる。
縦回転のアクロバティックな技は、国際大会へ出場してきている選手の過半数が二回転を打ち出し、コンボ技も3つ、4つとスピード感をもって連続して技をくり出すのも当たり前になっている。
つい一年前を振り返っても、これほどまでにLevelがひきあがってはいなかった。
スラックラインの世界レベルの成長スピードは年々、速くなっている。
HARUKIが世界の頂点に上り詰めたイベントとは、日本でもインラインスケートやスノーボード、さらにはモーターバイク競技などで知名度抜群なX-GAMES。
そのX-GAMESにおいて、スラックラインのジャンルが初めて採用された記念すべき国際大会でHARUKIは世界チャンピオンに輝いたということになる。
この結果は、日本のスラックラインの歴史においても、とても意味のあることだ。
6月という時期にアメリカへ遠征することを高校二年生16歳の立場で考えると
、今後の進学などを視野に入れるなければならない、とてつもなく大変な時期で決断したことになる。
このアメリカ遠征期間中、X-GAMESとGoPro Mountain Games 2016 Slackline Pro Seriesと2週にわたり開催。
実質、約二週間もの間、学校側の了解を得てはいるものの、ぽっかり学校を休んでいる。
学生には年度ごとに出席日数というものが存在する。私立、公立でその算出される出席日数の計算は違うものの、ざっくりいうと3分の1以上を休むと留年である。
本来の授業数、つまり、年間35週あると仮定して、一単位のものなら35時間、2単位のものなら70時間を基準に考えた場合、現実に授業をした時間数を基にして、
その3分の1のボーダーラインを超えるパターン、科目によっては、6時間休んでアウトの場合もある。
HARUKIが今度、高校を卒業後、どういった進路を目指すのかは定かではないが、今後の進路について大切な時期に、スラックラインの海外遠征に16歳の若者が、まずは決断しているところに目を向けなければならない。
私自身が仮に16歳で将来の進路について思い悩んでいると仮定し、そんな大切な時期にスラックラインに集中して真剣に向き合って決断できる勇気と覚悟が持てるものかと自問自答してみたが、そうやすやすと決断できることではない。
そのプレッシャーを乗り越えて、世界の頂点に上り詰めたということなのだ。
さらに、そのブレない心を持つHARUKIは、
勢いとどまることを知らず、翌月7月上旬にはフランスへ遠征。
Natural Games 2016でも世界チャンピオンへ。
同月、フランスからドイツへ移動して、Slackline World Masters 2016で同じく日本人の田中輝登とペアを組んだ2vs2のチームバトルでも優勝し世界王者。
6月、7月で海外のトップクラスのイベントと呼べる国際大会で3冠を手にしている。
これについては、日本人として未だ誰も成し遂げることができなかった偉業だ。
言い換えれば、HARUKIの名を世界中にとどろかせた怒涛の1か月だった。
日本→アメリカ→日本→フランス→ドイツ→日本と世界中を旅したことになる。
2か月の間で、過密スケジュールながら、学業と両立させてスラックラインに取り組んでやりきったことが、本当に素晴らしい。
ちなみに余談ではあるが、それだけ学校を欠席することで、学校側から休んでいる間の遅れを取り戻せるようにと、必要な課題(宿題)をそれはたくさん用意され、遠征先では時間があれば勉強に追われている日々を過ごしていたことも、記述しておきたいと思う。
この16歳の若者の夢を摘むことなく自由にHARUKIに決断する環境を与えたのは、ほかでもない、両親の存在だ。
とりわけ、HARUKIの父親である木下浩治氏の存在を語らぬわけにはいかない。
スラックライン界にとっても、木下氏のことを是非とも知っておいてもらいたい。
実は木下氏、日本スノーボード業界においては、知る人ぞ知る有名人だ。
スラックラインのブランドの一つであり、日本のスラックラインをどこよりも早く知名度を上げる立役者となったGIBBON JAPANの代表の小倉社長は、これまたスノーボード業界では知らない人はいないBURTON JAPANの初代社長である。
ゆえに、スノーボード業界とスラックライン業界は、同じエクストリーム要素も相まって、
斬っても切れない状況下にある。
そして、その関係値のある中で、木下氏は、BURTONが毎年、六本木ヒルズで開催している RAIL DAYS と銘打ったスロープスタイルの要素を用いた日本最大級のレールコンテストのイベントの、そのイベント会場を作る施工を仕切って関わっているのだ。(写真参照)
若者に人気のエクストリーム系のスポーツの先駆けで横乗りスポーツのスノーボードを、常に身近で感じている木下氏。その木下家のご子息として、HARUKIは生を受けた。
この環境を聞けばお分かりいただけるだろうが、HARUKIは良き理解者の一人に、とても頼もしい父親がいるということになるわけだ。
ゆえに、HARUKIがのびのびスラックラインをできる環境を支えている。
日本という国において、十代・未成年者のスラックライナー達がトップに君臨する裏には、親御さんたちの支えや理解なくして、存在し続けるのは難しい。
HARUKI一人を取り上げても、これだけの物語がバックボーンにあり支えがあるからこそ、世界の頂点への道が切り開けている。
彼が成人して、またトップライダーとしてスラックラインの世界でどのように成長してくのかが、これからも楽しみでならない。
ただ、一つだけ苦言を呈する意味で言わせてもらうと、
いつかは親も子離れしなくてはならない時がやって来る。裏を返せば、子も親離れしていかなければならない。
トップアスリートであり続けるということは、大人になる過程で、時として足かせになりブレーキになる二律背反的な要素も無きにしもあらずだ。
トップライダーたちすべてにいえることだが、そのことを肝に銘じて、これからのスラックライン・ライフを謳歌してもらいたいと切に願う。
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