早坂航太が日本のスラックライン界の成長と底上げに一石投じたことへの余波…。
FREE FALL編集長 高須基一朗
日本スラックラインにすい星のごとく現れたのが早坂航太だといえる。
四年前に、体操競技のバックボーンをひっさげてスラックラインの世界に突如として現れた彼は、一年でメキメキと実力をつけていった。
彼がスラックラインを始めた初年度の日本オープンが終わった後には、その潜在能力を買われ、ノンタイトルでありながらも、エレファント・スラックラインのライダー契約者に抜擢。
翌年の国内大会では台風の目として、多くのタイトルを奪取。
彼は、バク宙回転、前宙回転など、体操競技では当たり前の要素を取り入れているスラックラインの技を次から次へ成功させて世界へその名をとどろかせていった。
ダブルバット・フロントやフロッグ・フリップ、マッド・フリップ、縦系の回転技に関して言えば、
2年前の2014年 日本国内では、彼の右に出るライバル的存在は一人もいなかった。
これが日本の成長の分岐点ともいえる。
世界で対等にわたりあい、当たり前に活躍する早坂の功績を見て、日本人は世界でも通用するということを根付かせた。
このことで、今となっては日本トップライダーの3強を担っている十代の選手たちに刺激を与え、田中輝登、細江樹、木下晴稀のポテンシャル 成長を急速に引き上げた。
早坂の存在がって、日本でのスラックラインの技術は底上げされ、今や早坂を超える多彩な技を持つ実力者がこの3人を含め、全国で数多く現れている。
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また了德寺大学へ入学後、
スラックライン サークルから部活へ引き上げて、大学キャンパスでもスラックラインの活動を活性化させ普及させることに尽力した。
大学生活で明確なビジョンと計画性をもって活動をつづける彼は、
2016年に入ると、動画コンペの先駆けのKING OF SLACKLINEをなぞって、KOTA OF SLACKLINEが裏テーマになっているSLACK HARD JAPANの動画コンペを開催。スラックラインのコンボ技を早坂 本人が一週間ごとに発表して、それを成功させたものが次のお題へ進める。
コンボ技が毎週、発表されて最後の一人になるまで動画配信を続けられ、王者を決める参加型のイベントだ。これを22歳の現役大学生が企画立案して、行動・実現させているのが称賛に価する。
振り返れば、彼がエレファント・スラックラインにプロライダーへ契約する交渉ごとの際に、立ち会ったところからの付き合いなので、すでに3年の歳月が過ぎた。
偶然が偶然を呼んでのことだが、3年前の秋ごろの当時、わたくしが管理している
豊洲のスラックラインの練習場へ足を運んでくれるようになっていた早坂。ライダー契約の話し合いの場に選んだのが、タイミングよく豊洲であり、練習前の時間帯だった。
こうして、エレファント・ジャパンの上田代表が、豊洲まで足を運んで早坂と会食の際に、一緒に同席することになったわけだ。
細かな交渉ごとの内容には触れることは避けるが、ライダー契約できるだのだから進めるべきなのではないかと、早坂 本人を前にして促した。
のちに正式契約し、彼がエレファント・スラックラインのトップライダーとして結果を残し続けた。エレファント・スラックラインの存在を、老舗ブランドGIBBONに並び、人気ブランドへ押し上げる結果へつながっていた。
むろん、縁の下の力持ちとして上田氏の存在なくしてエレファント・スラックラインが日本に浸透することはなかっただろうが、早坂の活躍・功績があったのも事実であろう。
これは日本のスラックライン界においても、素晴らしい結果をもたらしたと思っている。
1ブランドだけの独占で日本のスラックライン界のマーケットが成立していくのは、この業界の成長にブレーキをかけていることになる。
そんな矢先に、上田氏が業界に一石投じて、エレファントが日本に上陸したことのだから、素晴らしい。
今では、スラックライン愛する日本人ならば早坂航太の存在を知らぬものはいない。
大学生活の4年間....その大半をスラックラインに身を置く生活で過ごしきた早坂だが、来年の三月でついに大学を卒業する。
現在、大学では国家資格を所得するための学業に重きを置いており、スラックラインの舞台では今年に入り、急速に露出が減っている。
練習に費やす時間も激減しているので、日本のトップライダーとして最前線にいない。
ただし、来年4月までの期間限定の充電期間である。
4月になればスラックラインを続けながら仕事をしていく道を選んでいる。
スラックラインでの経歴を武器に就職活動を開始して、スラックラインを通じて大手企業の内定を受けているからだ。
充電期間を経て、2017年の春に、強い早坂が戻ってくるということだ。
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