日本最高峰の戦い。日本オープンで日本人最高位の準優勝を勝ち取った細江樹の復権

FREEFALL編集長 高須基一朗


 浅草で開催されたGIBBONスラックライン日本オープンの第二回大会のキッズ部門で細江樹(以下、ITSUKI)を見かけたのが最初の出会いとなる。

日本スラックラインにかかわる初期メンバーならば、幼く笑顔が可愛いITSUKIといったイメージは、なかなか消えない。

本当に無垢で可愛い少年だった。

当時のキッズの部門では、今となってはトップライダーとして君臨する田中輝登、須藤美青、岡田亜佑美、と豪華な顔ぶれが名をそろえていた。

まだまだキッズ部門にも競技人口が多くない時代ゆえに、男女混合のキッズ大会で運営された。

そして、日本国内の公式大会で自身初の全国3位。

残念ながら、キッズの頂点という栄冠には届かなかった。

優勝は同世代の田中輝登。

ここから、彼には同世代である田中輝登と、常に比較されるスラックライン・ライフがスタートした。

二人のレベルは、互いに刺激を与え、その後も常に同等で成長を遂げていきスキルや技のバリエーションを増やしていく。

そして6年の歳月が流れ、17歳になり、一般の部で大人顔負けのパフォーマンスを披露し、日本オープン2016で日本人最高位の準優勝に上り詰めたわけだ。

準々決勝でライバルの一角を担う田中輝登が、本大会でまさかの敗退。

その田中を破った河合稀一を相手に、ITSUKIは、隙を見せず全力を注ぎ試合に挑み、撃破。

決勝へコマを進めた。

決勝戦は、海外からの招待選手で難敵のアレックス・マンソン(米国)。

決勝戦でも、ダブル&ダブルの高得点の技をメイクするなど、本番で実力を発揮する強さを見せた。本当に僅差だったといえるが、結果は残念ながら準優勝。

ITSUKIに軍配が上がることはなかったが、互いの武器である大技を出し尽くし、

素晴らしい鬩ぎあいの決勝戦であった。

これがGIBBONの公認大会ではなくて、SIルール(注釈①:下記参照)での戦いだったならば、間違いなく優勝はITSUKIだっただろう。

とはいえ海外招待選手が日本の頂点を決める大会へ参加していることを差し引くと、結論から言えば、日本チャンピオンに上り詰めたのはITSUKIだ。

うがった見方と関係者からお叱りをうける覚悟で、そう評価したいと思う。

素晴らしい結果で、今シーズンを終え、来期に向けて大きな弾みになったことだろう。

©GIBBON JAPAN


今年の上半期、ITSUKIは本当に苦しい時期を過ごしていた。

まずは、春先に新宿中央公園で開催されたスラックライン・フェスティバルin アウトドアフェス2016で、出鼻をくじかれる。

本人が身を置くスラックライン・インダストリーズ(以下、SI)のSI公認の大会で、惜しくも表彰台にあと一歩届かず、第4位。

自身が身を置く所属ブランドのイベントゆえに、このイベントでは結果は残したかったところだろう。

続いて、6月に海外遠征の世界大会へ。

同世代の日本人トップライダー、細江樹、田中輝登、木下晴稀、以上3人で挑んだ。

イベントは世界中で認められているエクストリーム・スポーツの祭典「X-GAMES 」、と「GOPRO mountain games」であり、世界中から選りすぐりのスラックラインのトップライダーたちが集う、祭典となった。

強豪ひしめく中、他の日本人が次々にタイトルを獲得している中、結果につながらず、ISTUKIは、ここでも表彰台を逃す。

この海外遠征の凱旋帰国の際に、成田空港で迎え入れて、ITSUKIと久々に会う。

車で1時間ばかり成田空港から都内へ移動する際にゆっくりサシで話ができる機会があった。

男二人で腹を割って2人でドライブといったところだろう。


海外遠征で、結果につながらなかったことへ悔しさをにじませながらも、決して心が折れている弱気な言葉はなかった。

17歳の多感な時期でありながら、その気構えは成長の表れともいえる。

実は、この移動時にICテープ・レコーダーで二人の会話をITSUKIの了解を得て、録音させてもらっていた。

のちに、JO(日本オープン)で素晴らしい結果を予期していたかのように、このテープの内容を聞くと驚くことばかりだ。


テープの内容をすべて書くとなると、とてつもない文章量となるので一部抜粋しつつ、

彼の素晴らしさを伝えていこうと思う。

何はともあれ、家族への感謝の言葉。

本人がこれを読んでくれたら照れくさいようなことになるかもしれないが、父親

である細江元気氏への感謝の言葉、そしてスラックラインを通じて、普通の高校生が味わえない贅沢な経験は何物にも代えがたい宝であるといったニュアンスの言葉の数々。

折れない不屈の精神を持つITSUKIは、この後、この悔しさをバネに急速に成長を遂げ、

わずか3か月の期間で日本人では誰も成功していない、冒頭でも書いているダブル・バックフリップ→ダブル・フロントフリップの通称ダブル&ダブルの技を自分の武器に完成度を上げ、トップライダーの中でも頭一つ秀でる状況へJOまでに仕上げていった。

6月までの上半期とは打って変わり、7月に入るとビーゴで開催された・WORLD CUP PRO SLACKLINEで世界3位も獲得。

©Slackline Industries


そして迎えた9月の日本最高峰の戦いJOで準優勝となる。

十代の若者にのしかかるプレッシャーとは、計り知れないものだと思う。

それでもそのプレッシャーをはねのけて、最後の最後でピークを9月に定めて結果を残した。

この2016年の1年間でのドラマ性のある物語は、彼にとって今後もさらなる成長の糧になることだろう。

また、忘れてはならないのが、アクションカメラの人気ブランドGOPROカメラのモデルライダーとして日本人初の抜擢ライダーであり、GOPROを利用して活動をしている点だ。

どこへ行くにもGOPROを利用して、スラックラインの面白さを動画を通じて伝え続けていてくれている点も注目すべきところである。




【注釈①】

SIルール

後発ながら昨年より日本に登場した新しいスラックラインのブランド「Slackline Industries(スラックライン・インダストリーズ)」のスラックライン・トリックライン部門のルールにあたる。

トリックすべてに点数が公式で決まっており、コンボ点などの加点方式もライダーに開示されている国際ルールの一つ。

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