細江樹選手が「FULL COMBO」初代・世界王者に輝く!
文:FREEFALL編集部 高須基一朗
(FULL COMBO決勝ラウンド観戦ルポ )
写真🄫FREEFALL
すでに、生中継の4K動画配信で国内のスラックラインファンならば、その大半が結果を知っていることだと思う。
優勝は細江樹選手。
本コラムでは、決勝ラウンドに残った3人のライダーを軸にして記事にしたいと思う。
実は、昨日のWorld Cup 「FULL COMBO」での世界王者に輝いた結果により、細江樹選手は4週連続でビックイベントを制覇したことになる。
4週前を振り返れば、細江樹選手の地元 愛知県のシーラインイベント「OCEAN SLACKLINE」で優勝。
すぐさまにスペインへ渡航。
スペインから国境を越えてポルトガルへ移動しトリックラインのコンペ「Beach Slackline」で優勝。
更に翌週にはスペイン・ビーゴのISI国際大会「VIGO STREET STUNTS2017」で優勝。
そして立て続けに「FULL COMBO」で世界王者に輝く。
この1ヵ月(4週間)の期間で、常に実践に身を置いて、勝ち癖を身につけて経験を積んできた細江樹選手の集中力は、本イベント「FULL COMBO」では、他を圧倒していたということに尽きる。
決勝、最終ヒート90秒では、トリックラインでの技術力は決勝に残る8名と拮抗している中、
自身がこだわり続けているスタイルのフィート技をほぼ全て成功。
すさまじい集中力であった。
技を完ぺきにメイクした時に加点となるボーナスポイントや、
会場を大いに盛り上げた時のボーナスなど、細かな部分でも、しっかり点数も稼いでいった。
こだわりを貫いたラインの乗り方で、679点の高得点をたたき出しての逆転優勝。
本人に、このことについて大会後に聞いてみると、
「こんなにパーフェクトな1ヵ月なことって、そうそう(人生を振り返っても)無い。この結果を活かしてアメリカを拠点にした生活を考えてますね。まだ、いろんな人に聞いてみないと分からないですけどね…」
誰もが認める結果を残した世界王者であるが、若干17歳の未成年でもある。
海外での生活を拠点にするといっても、そう容易い話ではない。
それでも、国内にとどまっているような器ではないことは間違いなく感じるので、
決断するならば早いほうが良いとも思う。
高校卒業後の細江樹選手の進路は、日本スラックライン界の未来でもあり、非常に気になるところでもある。
この決勝ラウンド最終日には、本当にたくさんの人間ドラマが起こっていた。
初日の
予選ラウンド1(25名)の中での最高得点は629点の田中輝登選手。
翌日の
準決勝ラウンド2(16名)の中での最高得点は713点(今期ISI公式大会最高得点)の木下晴稀選手。
そして
決勝ラウンド(8名)の中での最高得点は679点の細江樹選手。
世界中の 強豪がひしめく中、実は各ラウンド終了の段階で、日本人選手が常にトップを死守してイベントが進行していた。
この結果の状況から考えても、ラウンド毎にヒーローが変わっていたことを意味する。
そして1本のミスが、点数に大きく影響を与えて、順位を確定していた実情が見えてくる。
端的に言えば、3人の中で誰が優勝しても おかしくないという見方もできる。
ストーリーとして、筋書き通りに進まずに、意外性なことが次々に起こり、
こんなにも面白いイベント進行になるとは想定していなかった。
田中輝登選手は、決勝ラウンド ヒート1終了後のAZcanとの掛け合いのインタビューで、無駄な15秒を使ってしまってとの発言からもわかる通り、自分の技を何秒使うかの細かなことまで計算をして技のCOMBOを打ち出していた。
会場にいた田中輝登選手の父君である田中健雄さんと話をした時にも、残り時間・数秒まで緻密に計算して技の構成を考えていたという話も伺っており、田中選手がこのFULL COMBOへ向けて「ISIルール」の対策は万全であったいえる。
また、持ち味でもあるバックバウンスの技のCOMBOをあえて構成に多く組み込んでくるあたりも、スタイリッシュであり、見ている観客に田中輝登の存在感を知らしめた。
決勝ラウンドのラストに打ち出したダブルからのCOMBOが決まっていたら、この決勝の舞台での順位にも変動があったことだろう。
そして、決勝ラウンドの舞台にまで上り詰めた地元・長野県小布施町の出身である木下晴稀選手。
まずは、2017年度の正月に突如として「アジア初のスラックラインWorld Cup開催」の衝撃発表から怒涛の約9ヵ月間に、 高校3年生の青春真っ盛りな中でありながら、 出身地の小布施町の活性化のために身を粉にしてWorld CupのPR活動を続けてきた彼には、本当に敬意を表したい。
日本のスラックラインの未来のために誰よりも頑張ってくれていたことを、
我々編集部の人間は知っている。
本当にありがとう。
9月17日~18日の2日間の長丁場のEVENT開催となれば、高校最後の夏休みとはいえ、まるまる返上してスラックライン練習に追い込み、体力に技術向上に努める時期。
その追い込み練習期間中でも、週末になれば、
イベントにPRキャラバンまわりと連日のように時間に追われる日々を過ごしていた。
日によっては弾丸で長野県から東京へ遠征して、スカイツリーのソラマチのイベントへ参加し
PRでトークイベントにマイクを持ち広報活動。
併せて体験会のスタッフも行うなど、不満な顔を一つもせずに笑顔でやり切っていた。
また、体調管理が大切な大会一週間前の最後の調整時期にですら、早朝の雨の中で、NHKニュース番組の生中継でスラックライン。
雨に濡れて、風邪でも引いたらどうするのかと、中継を見ているこちらが、気が気でなかった。
彼にとっては、こうしてメディア露出のすべてが貴重な経験となり、今後の人生に必ず役立つとは思う。
ただ、その時間すべてが、トリックラインの練習に費やす時間を奪われたことになる。
格闘技のK-1を一つ例に出そう。
わたくしが格闘技雑誌 編集長を務めた時期があるので、例として挙げさせていただくが、
魔裟斗選手が現役の時代には、試合1ヵ月前からマスコミの取材は一切をNG。
マネージャーにいくら取材のお願いしても、特例は無く、
1ヵ月前にはマスコミをシャットアウトしていた。
ボクシングの世界戦を控える選手も同じだ。
選手によって若干の違いはあるが、やはり少なくとも3週間前には取材対応をNGにしている。。
最近では、K-1では武尊選手というイケメンファイターが人気を博しているが、彼はメディア露出が大好きであることを豪語しているとはいえ、こちらも約2週間前にはメディア出演を控えるようにして、試合に向けた練習に時間を費やす。
アジア 初のスラックラインWorld Cupの試みであるがゆえに、メディア露出が最大のポイントであったこともわかる。
だが今後は、いくら地元の英雄である木下選手といえども、大会前の練習環境を考えるならば、それに見合うPRスケジュールを切って、練習環境の時間をしっかり与えることは必須になることを関係者に、この場を借りて伝えておきたい。
足し算に引き算でスケジュールを簡単に区切ることが、必ずしも正しいと言い切れなくなることもあるかもしれないが、
正直、本番に向けて木下選手が練習不足で調整に苦労していたことは容易に想像できる。
それでも、今期、ISI公式大会における最高得点となる713点を準決勝ラウンドで叩き出したこともは圧巻であったといえる。
このタイミングでは、最後の最後は帳尻を合わせて、本領を発揮するのかと脳裏をよぎったりもしたが、
無情にも最終ラウンドでの結果は失速して6位入賞。
記録した手元にある動画を何度か見返しても、決勝ラウンドでキレがなくなり失速していた。
言葉を変えれば、技を置きにいって、思い切りのある瞬時の動きに0コンマ何秒か反応が遅れいるイメージである。
1日4ヒート(4回)×90秒=合計6分間をベストパフォーマンスをやり切る体力面もカバーできていないと見受けられた。
表彰台で6位のコールをされた時に、レッドブルの帽子を深くかぶり、顔を伏せていた姿が、歯がゆく、なんとも言えない気分になった。
マスメディアの立場でありながらも、許されるならばすぐさまに近くに駆け寄り 背中を思いっきり叩いて、
この思いを伝えてエールを送りたかった。
前述の通り、実践に身を置くことや、練習環境の調整はアスリートにとって、とても大切なことだ。
ここが、明暗を分けたのだと声を大にして伝えたい。
選手目線で考えていたら、このことに気づいてあげられたはずだ。
改善するべきポイントだと切に思おうことなので、あえてコラム記事で大きく取り上げたことも補足しておこう。
とはいえ、この最高峰レベルの舞台で世界6位ということは決して恥ずかしいことではない。
地元開催で背負うものが大きすぎる環境下で、よくぞ決勝ラウンドへ怪我無くコマを進めたものだと思った。
そして、小布施ハイウエイオアシスの広場に、過去最高動員数をたたき出し、あれだけの人を来場させた結果は、
彼のこれまでのスラックラインで積み重ねてきた輝かしい経歴と、人を引き付けるチカラなくして達成することができなかったはずだ。
地元・小布施町の英雄が、2017年度に地元で世界王者に輝くことは叶わなかったが、
これは、ただ来年以降に持ち越しとなっただけのことだ。
長野県小布施町で第二回「FULL COMBO」開催が早い段階で発表されることを切に願っている。
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